はじめましてskyといいます。
私は地方大学の偏差値40の学科を卒業し、新卒時は就職氷河期と重なり、希望の会社に就職できなかったロスジェネ世代です。
どこにも就職できなかった私がどのようにして、自分の本当にやりたい仕事に就いて幸せになれたかを成功体験談として書いていきたいと思います。
転職で280万円→1000万円以上に年収アップした成功体験記
私は、子供の頃からパイロットやゲームプログラマーになることが夢でしたが、航空会社・ゲーム会社・IT企業などから内定をいただくことはできず、夢は叶いませんでした。。
ここで人生で最初の挫折を経験しました。
挫折からの復活 フリーランス・派遣社員から正社員へ そして人生の転機
フリーランスWEBエンジニアや派遣社員として働きながらプログラミングスクールに通い、プログラミングスキルを身に着けてゲーム会社のコナミにゲームプログラマーとして正社員採用されました!
ここで子供の頃からの夢が一つ叶いました!
そして正社員採用後、数カ月した頃、「自力でパイロットライセンスを取得すれば、航空会社に応募できます。年齢制限は概ね35歳まで」という情報をみつけました。
さらにそのライセンス取得の学費に約2000万円!!かかることが分かり、30歳までに年収をアップし学費を貯め、アメリカへ留学してパイロットライセンスを取得するという目標をたてました。
ロスジェネ世代の逆襲
できるだけ短期間で年収アップし、かつ、もし万が一パイロットに失敗しても食いっぱぐれがない能力を身につけるべく実力主義の外資系コンサルティングファームへ転職し、30歳までに年収1000万円以上を達成することを目標に定め、転職戦略を立てました。
そして私は、転職サイトや転職エージェントを活用して
ゲームプログラマー→システムエンジニア→外資系コンサルタント
と転職のたびに職種を変え年収アップしていきました。
23歳:年収120万円 フリーランスや派遣社員(働きながらプログラミングスクールに通う)
24歳:年収280万円 大手ゲーム会社(ゲームプログラマー)
25歳:年収450万円 大手メーカーの情報システム会社(SE)
28歳:年収700万円 大手外資系コンサル会社(ITコンサル)
30歳:年収1200万円 コンサルタントからマネージャーに昇進
年収120万円の派遣社員から3回の転職で年収1200万円の外資系コンサルタントへ、7年間で年収が約10倍になりました。
第二の挫折そして復活 自己実現の達成へ
その後、31歳で外資系コンサルティングファームを退職(卒業)し、パイロットの夢を実現するために、アメリカへ留学。
アメリカで自家用のパイロットライセンスを取得後、帰国して日本のパイロットスクールにて日本の事業用パイロットライセンスを取得しました。
日本のパイロットスクール卒業の際にJALの破綻と重なり、多くの経験者パイロットが市場に溢れ、未経験の私は国内のどの航空会社にも書類審査が通りませんでした。。
人生で第二の挫折です。orz
日々、ひたすらパイロットの勉強と就職活動を続けること約1年半、、
やっと書類審査が通り、面接に呼んでいただけることになり、無事に内定しました!応募要件は35歳まででしたが、ギリギリ34歳にして内定し第二の人生がスタートしました!
子供の頃から1番なりたかったパイロットになる夢を実現しました!!
パイロットになってからも転職にて小型機から大きな機体のジェット機にステップアップし、現在は航空会社3社目で年収は1400万円になりました。
31歳:外資系コンサルティングファームを退職しアメリカへ留学
32歳:帰国後、日本の事業用パイロットライセンスを取得
33歳:JALの破綻と重なり履歴書通らず、ひたすら勉強と就職活動
34歳:年収500万円 地方の航空会社(パイロット副操縦士)
37歳:年収800万円 国内国際線航空会社(パイロット副操縦士)
41歳:年収1400万円 国内国際線航空会社(パイロット副操縦士)
ゲームプログラマー→システムエンジニア→外資系コンサルタント→パイロット
私はこのように職種と業界を変えて、自分の夢と自己実現を達成しました。
転職で天職のパイロットという職に就き、休日は趣味を副業として毎日本当に幸せな日々を過ごしています。